虐待だったか

児童虐待が後をたたない。
家庭という閉鎖空間のなかで、親のストレス発散の場となり、DVや児童虐待が起きる。

父は暴君だった。
ある時、我が家に封建政治が敷かれた。
昔は優しかった父は、ある時壊れた。
兄を理不尽に怒鳴り付け、私も母も止めに入ったが、止めることができなかった。
しばらくするとターゲットが母に移った。
母が一方的にやられていたかというと、案外負けん気の強い人だったので、ガッツリ応戦、それどころか、今思うと空気の読めない人だったので、火に油を注いでいたのだろう。
毎晩のように大声で怒鳴りあっていた。
止めることもできない。
火の粉が降りかかることはなかったけれど、寂しさ、悲しさで、灰色の家だった。暗黒だった。
父が帰ってくると、蜘蛛の子を散らしたように、家族はそれぞれの部屋へ逃げ込んだ。
母と父の怒鳴り声が聞こえ、扉を閉ざすしかなかった。

夫婦喧嘩も面前DVというと、先ほど初めて知った。
父親からのDVで母親も思考力が停止し、子どものDVに加担した疑いで逮捕されたニュース。
うちは暴力こそなかったが、言葉のDVは、理不尽なコントロールは、20年近くあった。
そして私は、彼らの年を越えて、いい大人になった今も、生きづらさを抱えたままだ。
親の愛はある、とか、そんなのファンタジーだろ、現に虐待とかあるじゃないか、愛とか信じられない。
親が、子供過ぎた。
親は完全じゃない。
でも、子供にとって親がすべてだ。
これ以上不幸な子どもをつくってはいけない。つくらないで。

私はまだ生まれていない自分の子どもを不幸にしないために、子どもは産まないと、高校生の時決めた。
人とうまく付き合うこともできない。
人と深くか関わることができない。

そう決めつけてしまうこともないと、今は思う。
だって、たくさん勉強したもん。
今なら、うまく相手との関係性を築ける気がする。
そういう相手と出会える気がする。