傷ついた子どもが大人になって

児童虐待、いじめ、、、

こどもは被害者だが、その加害者である大人は、おそらく被害者だった子どもが大人になったもの。養護はできないけど、彼らも子どもの頃、もしくは今、自分の尊厳を守れない状況で過ごして、バランスのとれない人になってしまったんじゃないか。暴力的な行為に同情はできないけれど、彼らもまた傷ついた被害者だったのではないか。

子どもの時に不幸にも命をおとさなかったとしても、幸い死に至らしめることはなくとも、辛い思いを抱えて大きくなり、壊れた大人になって、負の連鎖を繰り返す。子供社会の歪みは大人社会の投影。

もしかしたら、そこでリセットできたほうが、こじらせる前に終われて長く苦しむことなく、もしくは加害者にならずにすんで、よかったと考えることもできる。

生きることだけが、いいことじゃない。
終わりにできるなら、終わりにしたい苦しみがある。
現代社会の生きづらさは、どうしたら抜け出られるのだろうか。

少しでも、この課題を乗り越えて、より良く行きたいものだが、生きる気力の尽きたときは、正直死にたいと願います。

そういえば、子どものいじめを苦に母子心中のニュースもあった。
弱い母親だと思った。
学校や教育委員会を悪者にしたてあげるのもどうかと思うが、しかし母親の短絡思考よ。

子どもが死んでしまって、救えなかった児童相談所ばかりを責めるのは違うんじゃないか。隣近所は?親や親戚は?そばにいながら見過ごしたのは、家庭という密室、聞こえていただろう泣き叫ぶ声、怒号、不穏な音、避難されるべきは、他人ずらした隣人。助けようもしなかった他人。

世の中、問題が多すぎて、どうしたらいいかわかんないよ。


方や、子どものしたいこと、見守ってあげる、そんなお母さんもいる。
いいなぁ、うらやましいなぁ。
今、それを思い出したら、心がほっこりゆるんだ。
それでも地球は回ってる。
少しでも、前を向いて、歩いて行こう。