悲しい

またひとつ歳をとり、アラフィフ
もう気分は49歳
人生五十年
より佳い人生を、成功を、認められたい、幸せになりたい、役に立ちたい、意味のあることを、思い付いたことを形に、頑張ってきたけど、もう、いいかな。
頑張る理由も見当たらない。

50まで生きればいいや。
お金と体力と少しの自我の保てる間だけで、
もう上を目指すのやめにしたい。

第二次ベビーブームのベッドタウンで育ち、回りに親以外の大人もなく、先生との関わりもなく、同じ年の人以外との交流もなく、先生との接点もなく、社会との関わりもなく、親の締め付け押し付けるだけで導きもせず、なんの社会も知らないままに、自分のしたいことには蓋をして生きてきた。
私の世界にあったのは、息のできない学校と家、世界はテレビだけ。
その私が今、自然と田舎社会の中で、ここまで自力で生き、真面目に社会人として生きてきた。充分じゃないか。
お金のために生きるのも違う。
思う成功をつかめる自信はつかめない。
なんのために生きる?
相変わらずわからない。
同じような環境で育ってきて、社会をリードする人になった同世代もいるけど、私は、私の環境と力において、充分なのではないか。
今、足りないと思うのは、家族、成功。
強い意思。

もう、疲れたし、無理かな