ピアノとママ

小さな頃音楽教室に通わされていた。
ママがピアノを私に弾かせたかったから。
でも、私には音感はなく、苦行でしかなかった。
教室では、笑われたこと、できないことをさせられることばかりだった。
音楽教師にバカにされ、みんなに笑われた。
「これはなんの音?」とピアノを弾く。
「ド?」「レ?」「ミ?」わからないから順番に言っていく私。
「全部言えば当たるよねー」と音楽教師。
悲しかった。

ある日のテーマはなぜか「好きなくだもの」親も同席していて、ぐるりと子供たちの後ろにその親がいる。子どもは10人以上、親も合わせれば20人くらいいた。
音楽教師は「それでは順番にいっていきましょう」と。
私は最後の方だった。
ほとんど好きなくだものの名前は言われてしまった。
覚えたてのグレープフルーツも好きなくだもののひとつだったのだかが、グレープなのかグレープフルーツなのか、どこできるのか、どういう意味なのか、わからず、迷ったあげく、私は「フルーツ!」と言った。
教室中みんな一斉にどっと笑った。
恥ずかしかった。
笑い者にされた気分。

引越を期に音楽教室を止められた。
発表会は泣いて出たくないと言った。
ずっと練習も苦痛だった。

高校や大学の受験の時、ママの希望の学校に進むことや職業につくことを求められた。
全く自分の希望でも特性でもないのに。
私の人生はあなたのものですか?

絵を描くのが好きだったし得意だった。
たくさんの賞を取り、賞状を持ち帰った。
それを見て誉められたことはない。
下を向いて、不機嫌そうに、迷惑そうに、すぐに筒にしまい、戸袋に押し込められた。
賞状は歓迎されるものではなかった。

小学校に上がるか上がらないか、くらいの小さな頃、ママは言った。
「絵で食べていける人なんかいないのよ」
あなたは習い事に、週に二度も三度も、通っていた。
水墨画、手芸、藤芸、習字、どれ程たくさんの習い事をしていたろうか。
プチセレブだね。
それを教えていた先生たちはその芸で身をたてていたじゃないか。芸術家になるだけが生きるということだろうか。
今、デザインのセンスが私のひとつの仕事上の武器だ。
美術方が私は好きだし得意だった。
音楽は好きだよ、でも、ピアノは好きじゃなかった。
あなたのやりたいことを、私にやらせるのって、子育てとして、間違ってる。
私は自分が好きなことや、やりたいことが、わからなかったよ。
語学だって、あなたが強いたものだから、それなら納得するんだろうと選んだだけだよ。